2014-11-11 第187回国会 参議院 法務委員会 第5号
とにかく、安倍総理が国連常任理事国入りの意欲を語っていらっしゃるわけですから、やはり差別をなくしていく、国際人権基準にきっちりとして立つ日本をこれからつくっていくんだと、そういう立場にこれは党派を超えて立つべきだというふうに思っております。 マーチン・ルーサー・キングが、黒人はなぜ待てないのかという本を出しております。やはり被害者というのは待てないんですよ。
とにかく、安倍総理が国連常任理事国入りの意欲を語っていらっしゃるわけですから、やはり差別をなくしていく、国際人権基準にきっちりとして立つ日本をこれからつくっていくんだと、そういう立場にこれは党派を超えて立つべきだというふうに思っております。 マーチン・ルーサー・キングが、黒人はなぜ待てないのかという本を出しております。やはり被害者というのは待てないんですよ。
もう一つ、日本政府が一貫して目指してきた国連常任理事国入りは、安倍政権になって近づいたのでしょうか、それとも遠のいているのでしょうか。端的にお答えください。 総理は、地球儀を俯瞰する外交を吹聴していますが、あなたの地球儀では、黒く塗り潰された部分があります。しかも、我が国の近隣にあります。大変残念なことであります。 安倍総理の歴史認識と挑発は、米国やEU諸国からも憂慮されています。
アフリカの人たちを助けて様々な形でODAをあげるというようなことはすばらしいことのようなんですけれども、ちょっと衣の下によろいがあるといったような感じで、私の思い過ぎだったら訂正させていただきますけれども、ちらついているのが国連常任理事国入りなんですよね。それから、中国なんかも当然やっていますからそれも当たり前なんですけれども、資源、どうやってもらってくるかという。
○国務大臣(高村正彦君) 国連改革、国連常任理事国入りについてのアフリカ各国の日本に対する態度でありますが、常任理事国入りという日本が入るか入らないかという前に、国連改革のまず枠組みといいますか、安保理の枠組みというのをどうするかということについて日本とアフリカは必ずしも一致しているわけではありませんけれども、一つ一つの国が日本が常任理事国になることに賛成か反対かといえば、私は全部若しくはほとんどの
これは間違いなく日本の国連常任理事国入りを支援する旨であろうと思いますけれども、大票田である五十三か国のアフリカの支持は国連加盟国の三分の二以上が必要とされる採択に大きな影響力を持ちますし、全常任理事国を含む三分の二以上の批准が必要な場合では中国の支持も不可欠でございます。
ほどのいろいろな意味の力がある国が、よく普通の国という言葉が一時期はやったこともございますが、普通の国がやっぱりやっているような活動は、幾ら日本の憲法がある意味では特殊な生い立ちの下で生まれたか等々のことを差し引いたとしても、しかしやっぱり日本として国際社会の一員としていろんな国々が期待していることにこたえていくということは私は必要なことだと、こう思いますし、私も二年半ほど前、外務大臣として国連常任理事国入り
自衛隊派遣を決めた当時も、米国は、日本の国連常任理事国入りに向けた動きを支持するどころか、最終的には、米国によってつぶされてしまったのです。これは、日本外交の完全な失敗であり、この反省に立つならば、一方的に対米追従し続けるのではなく、米国に安保理常任理事国入りを支持させることも当然必要と考えますが、いかがでしょうか。総理、外務大臣にその覚悟も含めてお伺いをします。
また、日本の国連常任理事国入りでは強力に応援をしてもらえたのが豪州でありました。インドと並んで重要なパートナーとしてこれからますます期待が高まっていると認識しております。 そうでありますけれども、今回の件は同一には論じられません。
昨年、十七年の六月三十日に自由民主党のある部会で私も私案というもので、当時、ちょうど外務省を中心に国連常任理事国入りの運動、パンフレットをつくって、一生懸命やっていた時期でありました。そのとき、決算行政監視委員会で、当時の町村外務大臣に対して、私は必ずこの運動というのは失敗をしますよと言ったら、もう一度質問し直せと言われて、もう一回質問し直しました。同じことを聞いて、やはり失敗しました。
細かいことは申し上げませんけれども、やはり極めてしたたかな外交戦略を持ってアフリカと接触をしておるということを感じましたし、また、先ほどの国連常任理事国入りの話でありますけれども、これについての影響もかなりあるなというふうに思いました。
○国務大臣(麻生太郎君) 今、昨年から続いておりますように、G4と言われますドイツ、ブラジル、インド、そして日本と、この四か国の国連常任理事国入り案というのを昨年提起をさせていただいて、ずっと今日まで。おかげさまで、国連の改革に合わせてこの安保理の改革というのが必要だという気分の盛り上がりに供したことだけは間違いないと思っております。
小泉内閣が国連常任理事国入りに非常に執念を燃やして頑張ってきたわけでありますけれども、それに比べて、国際機関であるILOに関しましてはなかなか芳しくないというふうに受け止めております。
津村委員 ずっと減らしてきたもの、そしてことしも〇・九%でしたか減らしているものを、来年ふやすと明言されるのはかなり思い切って御答弁いただいたんだなと思うんですが、私がお尋ねしたいのは、これ一つだけを針小棒大に取り上げて、常任理事国入りのためにとにかくこれをふやせということを言っているのではなくて、ふやされるのは一つの取り組みとして非常に前向きな御答弁をいただいたと少し驚いてもいるんですが、国連常任理事国入り
○津村委員 今言われたようなと言っていただいたんですけれども、ぜひ大臣のお言葉として、どういう、アジア云々という地域バランスも重要ですが、やはり日本国として戦略的に使えるそれほど多くないカードの一つだと思いますので、国連改革の議論を先ほどしたのは、これは大きな関係があると思っているので続けてこの質問をさせていただいているんですが、国連改革、国連常任理事国入りと絡めてこの問題について取り組むことが可能
実は、昨年、町村前大臣にも同じ質問をさせていただきましたが、その後、国連常任理事国入りという点では、昨年秋、日本の取り組みが多少、残念ながら後退を余儀なくされている、そう認識しておりますが、その後編成されました平成十八年度予算におけるODA予算の対GNI、国民所得比率は、昨年度に比べてふえているのか減っているのか、国連常任理事国入りの取り組みという意味で前進しているのか後退しているのか、御答弁ください
数年たったらソ連がああいう形になってしまったんですが、その二、三十年の間に、もう中国は脅威でなくなるか、中国が全く国家として今のようなそんな勢いを持つような国家になってなくて、もう単なる大きな国であって非常に経済的にあえいでいると、低迷にあえぐ、そういう国家になる可能性もあるんじゃないかと、このように思うんですが、それをちょっとお伺いしたいことと、それと、山東議員もおっしゃったんですが、日本の国連常任理事国入り
じゃ、もう一点もちょっと併せて申し上げておきますけれども、その前に、日本の国連常任理事国入りについての中国の態度について私ちょっと書きましたけれども、言う時間はなかったんですが、中国は専ら反対だというような一般的なイメージがあったんですけれども、正直言ってそうではなかったと思います。
今、GDP世界第二位とか国連常任理事国入りを目指すとか、それはそれで大変すばらしいことかもしれません。
これはやはり、今の大臣の御答弁を聞いていると、日本とするとG4から外れても今後この国連常任理事国入りをあきらめずに交渉していくというふうに読めるんですけれども、そう解釈してよろしいんでしょうか。
本当は、きょうは国連の問題も、どういうふうになっていくのか、中国がどういう部分で、日本の国連常任理事国入りを拒否しようとしたとき行動するか、そういった議論もしたかったわけでありますが、時間がありませんから、これは後の人に譲りたいと思います。
これを見ますと、この問題と結び付けて、短期的にはアフリカ諸国への経済支援は日本の国連常任理事国入りに役立つだろうということを述べているわけです。
○小泉内閣総理大臣 私の言うことを誤解してとらえておられるようですが、私は、国連常任理事国入り、これについては十年ほど前から大きな関心を持っておりましたし、今のP5、同じようなことはできないということをはっきり言わなきゃいけないと言っていたわけであります。日本の立場というのは現在のP5とは違う。核保有国でもないし、海外で武力行使をしない、こういう国である。
中国との関係が今のような膠着状態で、あるいはまた、デモを含めて、韓国や中国がデモを行っている一つの原因に、日本のこの国連常任理事国入り反対ということを明言されているわけです。 こういうことを含めて、今のような大臣の答弁では私は納得できない。はっきり申し上げて、隣、一番近い、近くて近い中国が、経済分野においては非常に大変な日本に影響力のある状態をつくり、政治は冷戦状態だと言われている。
これは、国連常任理事国入りの問題あるいは領土をめぐる意見の相違等に対しまして、過去の戦争の経緯もありまして、なかなか複雑な感情もあるのは事実でありますが、私は、両国政府とも、この問題につきましては、未来に向かってより一層友好交流関係を深めていこうという点においては、今後も変わらない基本方針だと思っております。
今、国連加盟の問題で非常に大変努力をされています、国連常任理事国入りで。一方、中国もこの今度のことで、国際社会のやっぱり非常にある意味では大事さというのを私は認識したというふうに思います。